FM三重『ウィークエンドカフェ』2021年9月4日放送

平安時代、明和町斎宮は、竹の都と呼ばれていました。
その文化を伝えていく活動をしているのが、今回のお客様。
『まちかど博物館 竹茗舎(ちくめいしゃ)』の館長、渡邊幸宏さんです。

茶を習っていたメンバーで竹茗会を作り、『竹茗舎』にいたる

親しい仲間6〜7人で『竹茗会』というのを作りました。
斎宮が『竹の都』と呼ばれていたことをみんな知っていて、明治天皇が休まれたという長嶋家でお茶を10年くらい習っていた仲間なんです。
竹とお茶で『竹茗会』という会を作り、祭りのときに抹茶を提供したり、自分たちの手作りの竹細工を安く買ってもらったり。
布袋竹という変わった竹で作った杖も作っています。
グリップが握りやすく杖にちょうど良いのです。
それを100円か150円で販売すると、斎王まつりに来たお年寄りに好評で、けっこう買ってもらいました。
それが20年ほど前。
そして今の『竹茗舎』に至ります。
ずっと竹に親しむ活動、『竹の都』斎宮を知ってもらうという活動をしてきました。
竹好きの人がけっこう来てくれて、竹に関する情報交換をする拠点として進めています。
竹神社もありますし、竹川もありますし、『竹川』という古い在所もあります。
『竹連(たけのむらじ)』という豪族が、このあたりを治めていたという事実はわかっているのですが、竹連がなぜ『竹』を名乗ったのか…文献学的には良いものがあまり出てきていません。

 

と竹の違い。 笹は皮がずっとついている

笹と竹の違いは、文学では人間の背丈までを笹と呼び、それを越えると竹と呼ぶという説もあります。
今の植物学的には、笹は…まず出てくるのは筍ですよね。
ずっと伸びていって、数ヶ月で親の竹になるのですが、その途中で筍の皮がポロポロと落ちていって成竹になります。
しかし笹は筍の名残の皮が残っているんです。
それが笹で、親になったときに皮が落ちてしまうのが竹です。
それが明確な分類になっているそうです。
見てもらうとわかりますが、2mくらいになっても笹は皮が残っているんですよ。
四角い竹もありますが、こちらは親になると筍の皮が自然に落下していきます。

 

の藍染めや、竹のはく製などおもしろいものがたくさん

今、竹茗舎では竹に関わる工芸・文芸作品を募集しています
企画展も今年で13回目になりました。
私の想像を超える作品が寄せられ、毎年楽しみにしています。
俳句や短歌で竹を歌ったもので良いし、竹細工など、いろいろなものが出てきます。
思いもつかないようなものが。
竹を使った藍染め、筍の中の実を取り出してシリコンを詰め込んだ『竹の剥製』というのも、この間初めて出てきました。
竹の皮も種類によって柄が違うんですね。
竹になってしまうと真竹だったのか破竹だったのかわからなくなってしまいますが、竹の皮があるときに行くと、そこにあるのが真竹だったのか破竹だったのかわかります。
縄文時代から日本人は竹と親しんでいた、ということがわかってきています。
モンスーン地帯に稲って生えますよね。
東南アジアとか日本も含めて、稲が育つところはだいたい竹が育つんです。
竹の種類は世界で1200種類と言われています。
日本で660種類くらい。
縄文時代に竹を裂いてヒゴにして、それを編むという文化があったとわかっています。
縄文遺跡から竹で籠を編んだ物が出ているんですよね。

 

の花が咲くと竹はその後、枯れてしまう

竹は花を咲かせると種を残して。一族郎党全部枯れると言われています。
実際僕も何回か、それを見たことがあります。
花が咲くと、根で繋がっている一族郎党がパッと花を咲かせて全部枯れるという現象があります。
竹の種類によって違うのですが、これを確実に調べている人がいないというか。
孟宗竹だと60年説・70年説がありますけど、気がついて調べようかと思っていても、今年生えてきた筍が枯れるまで、こちらが生きていられないので、京都大学の農学部で、竹の種類別に高さ2mくらいのコンクリートヤードで仕切って、いろいろな種類の竹を植え、花が枯れると、いつ枯れたという石碑を立てて、その周期を調査中らしいです。
明和町にも関係のある業平竹という竹があるのですが調査を始めてから初めて花が咲いたのがそれだったというニュースを見たことがあります。
孟宗竹だと、それだけの年月が立たないと確証が得られません。
真竹・女竹は10年〜20年と言われています。
神秘的で儚い。
実際に花が咲いて枯れるまでの年月に、魅力を感じています。

種類が多いことが好きです。
曲がりにくくて強い竹、曲がってぐるっと円になる竹もあります。
どれも魅力的です。